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3月16日(木)
私たちの愛するクマー・ルイスがケニアの首都ナイロビで銃殺されました。彼は友人のピーター・オルワさんの家に滞在していました。
ピーターさんも撃たれ、この数日で病状は安定したものの、依然こん睡状態にあります。 クマーはヨガをしていた時に、何者かが
家に侵入し、ピーターさんと共に撃たれました。ピースボートから3〜4週間の休暇をとり、音楽演奏の為に ケニアを旅行していた
クマーは、すばらしいドラム演奏者であり、以前ガーナに住んでいた時に様々なパーカッションで奏でるアフリカのリズムを学びました。
またジャマイカで触れたレゲエ音楽と文化にも没頭しました。
3月17日(金)
この悲しい知らせを聞き、クマーの母親イシと彼の姉と兄、ジョティとシンマヤがナイロビに向かう飛行機に乗り込みました。皆、心が
引き裂かれるような思いでしたが、クマーを故郷(カリフォルニア州サンフランシスコから北に60マイルの町セバストポル)に連れて帰る
という唯一の目的を心に、気丈に振舞いました。
3月19日(日)
クマーの家族ナイロビの空港で、到着を待っていたピースボートのコーディネーターであるリョウ、ピーターの息子のサム、そしてクマーの
叔父、ハノン・ブリスの友達でもあり、また同僚でもあるアチム・ブラウンとレイナー・ワルツと会いました。皆、クマーを故郷に連れて帰る
という家族の使命を手助けするために集まりました。
弁護士さんの力を借りて、ハンノの友達と、イシ、ジョティ、シンマヤは葬儀場に安置されていたクマーの遺体と面会することができました。家族にとって
様々な手続き進める前に、彼の姿を見るということは不可欠だったのです。以下はクマーの姉、ジョティの言葉の引用です。
「私たちが葬儀場に着くと、クマーの遺体を世話し、警護してくれていたすばらしい男性に出迎えられました。彼は私たちを遺体の安置部屋へと案内して
くれました。そこには横たわるクマー…..青いベルベットを着て、花に囲まれた彼がいました。まるで聖人のようで、あごひげが彼をとても男らしく見せ、また彼の
周りにはオーラが輝いていました。その顔はとても穏やかで、天使のようで、美しいものでした。彼は神のようにも見え、そう、彼は王子様…..アフリカの王子に
なったのだと思いました。私たちは彼と心を共にし、そして彼を自由にしてあげました。彼は今自由の身になったのです。」
3月20日(月) イシは息子クマーと離れてしまう前に最後の時間を過ごそうと、遺体安置所へ戻ってきました。 クマーの遺体は遺体安置所から出されて、
彼が共に演奏していたアフリカのミュージシャン達がクマーに最後の演奏を捧げました。 そしてクマーの遺体は死因を調べるために検死に
出され、死亡証明書が発行されました。
クマーの遺体は火葬されます。そして火曜日に、彼の家族は彼がケニアで一番好きだった近くの州立公園へ行き、彼の遺灰をそこでまくことにしました。
クマーはアフリカの音楽、文化をとても愛していたので、アフリカの土地は彼の遺灰をまくのにふさわしい場所だということで決まりました。
イシ、ジョティ、シンマヤはクマーの遺灰と遺品を持って水曜日にナイロビを去ります。彼のおばのハムサ、おじのモッシェが水曜日にサンフランシスコ
経由でセバストポルへ行き、戻ってくるクマーの家族のために家を整え、近しい友達に会えるよう準備をする予定です。木曜日にサンフランシスコ
空港へ戻ってくるクマーの家族を迎えに行き、家に一緒に帰って、悲しみに暮れている家族を支えるために一週間ほど共に滞在します
今、「クマー・ルイスの追悼基金」を集めています。もし基金にご協力頂けるようでしたら、今週中にサイトへ来てリンクを探してください。
なるべく3月24日の金曜日までにお願いします。
3月21日(火) どうかピーター・オルワさんの家族を想い、祈ってください。ピーターは銃撃の際に受けた傷からくる合併症が原因で亡くなりました。
3月23日(木) クマーの追悼基金に寄金する方法が二つあります。 ここ をクリックして下さい。
3月29日(水) クマーの姉、ジョティが3月29日に東京に来て、4月5日まで滞在します。彼女の訪日の目的はクマーの友達と会い、クマーが働き、食べ、遊んだ東京の
全ての場所に行くことです。彼女はピースボートにも訪れ、クマーの同僚や友達 と会う予定です。また、クマーの持ち物全てを集め、家に持って帰ります。
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